2006年3月31日

2006年3月31日

私が初めて嶋崎さんとお会いした日でした。

スーパーロボット大戦のブログ、「熱血!必中!スパログ」の新企画で
`今までスパロボに縁の無かった女の子にスパロボをプレイしてもらいスパロボ色に染まってゆく過程を見せたい´というものでした。

面接をして頂いた嶋崎さんに、
スパロボ好きな弟の話やライジンオーの話をしたら
とても喜んでくださったのを覚えています。

先日、嶋崎さんの通夜祭に参列させて頂きました。

沢山の人で溢れ、嶋崎さんの創りあげた沢山の作品で溢れ、嶋崎さんの写真で溢れ。

そこには嶋崎さんの世界がありました。

嶋崎さんの創ったPVが流れるモニターの前でなぜか涙が止まらなくなりました。

あれもこれもそれも、誰が創ったものか深く考えず見ていたものばかりで。

嶋崎さんは初めてお会いした時から、
全く無名の私にもとても丁寧に接してくださいました。

あまりにも丁寧ですし、ご自分のお話はなさらない方だったので、
かなり長い間なぞの人でした。

嶋崎さんがどんなお仕事をなさっているのか、
どれだけ凄い方なのかわかったのは本当にここ一年の話です。

スーパーロボット大戦Zの特典ディスクの台本(冒頭で絶叫マシーンに飛ばされる相沢・・等)を書いて下さったのも嶋崎さんでした。

ライジンオーが好きな私にスーパーロボット大戦GCを奨めて頂き。

世界名作劇場が好きだと話したら、
「ターンAガンダムから観はじめてみては?」と提案してくださいました。

まるでスパロボのソムリエですね。


スパログを書く上でも、沢山のアドバイスを頂きました。
今考えると直接アドバイスや企画を考えて頂いたのが、どれ程凄いことか。

約3年

3年もお世話になっていたのに、
お会いしたのは両の手で足りる程しか無かった気がします。

スパログのやり取りは全てメールでした。

私はかなり自由に書くタイプですので、
版権のチェックや載せてはいけないもの等、 いつも大変だったと思います。

そのメールでのやりとりの中で病気のお話を聞いたのが昨年の10月末でした。

メールは明るく前向きで、病状の深刻さなど微塵も感じさせない内容でした。

前回私が書いたブログも嶋崎さんにチェックして頂いたものです。

最後まで、その明るさは変わりませんでした。

今年の1月、今頃、久しぶりにお会い出来る予定でした。

こうやって書くと、とても短い思い出話ですね。

ずっと影から私を育てて下さった足長おじさん(おじさんは失礼ですが)のような嶋崎さん。

嶋崎さんのプロジェクトにより、
どれ程多くの方に相沢舞という名前を知って頂けたか計り知れません。

今でも初めてお会いした時に嶋崎さんが仰っていた、
とんでもない事が忘れられないのです。

「何年かかるか分かりませんが、いつか二人を

『どうして二人をスパロボに出さないんだ!』って周りが言う位にしたいんですよ。」

2006年3月31日

嶋崎直登:談